矢竹と葛山城跡
時に弘治3年旧暦2月(太陽暦3月)。この城に籠ったのは土地の武将・落合備中守治吉。攻めたのは武田信玄の宿将馬場美濃守信房。武田の軍勢は6千あるいは8千はたまた1万7千ほどいたらしい。だが、籠城兵の抵抗は凄まじく、城は落ちない。そんな時、葛山城は水の便が悪い、との情報が入った。
武田軍はこれさいわいに風上から火をつけると、たちまち山は燃え上がり、葛山城は落城した。2月15日(3月25日)のことだったというのが、この城に伝わる話。
でも、火攻めだなんて、ほんとかいな。3月になっても写真のこの雪だよ。城跡に至る荒安側からの山道は、ひどいとこは30cm以上の残雪があってさ、登山靴がきゅ〜っ、ぎゅ〜っと埋まって、おまけに雪が舞いはじめてきてさ、こりゃ、遭難すんかもしんね、くわばらくわばらってオイラ引き返したのだわい。
(取材、できなかった。やべっ)
●Fine Pix S2 Pro/18〜70mmズーム/2008.3.6長野市荒安
●植物図鑑 信州・草花木実へ飛びますか?
●とりあえず葛山は置いといて、本日7日は葛山南尾根先端の、頼朝山の中腹を巻く戸隠古道を歩いた。西国三十三番観音石仏がたたずむ山路だ。1番観音から24番観音までは南斜面にあるので残雪はなかったが、25番観音ははごらんのとおり。そしてまたまた雪が舞ってきた。でも、大丈夫、足ごしらえはゴム長だぞな。……で、この日の仕事は無事完了!